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映画「春との旅」 [書評・映画評]

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19歳の少女「春」(徳永えり)は漁師の祖父忠男(仲代達矢)と二人暮らし。両親は幼い頃に離婚し、父は家を出て行った。幼いながらもそのときの事情を春は察していた。5年前にその母が自殺した。おそらくは母が死んだ時、離婚した父が春を迎えに来たのではないかと思うが、春は二度と父親とは会いたくないと心に固く決めつけていた。数年前に妻に先立たれ、今また一人娘まで失った偏屈者の祖父との二人暮らしはストレスが貯まっていたかも知れない。
その祖父も足が悪くなって春の世話がなければ生活できなくなり、春自身も給食員として働いていた小学校が廃校になって職を失ってしまった。

祖父と孫娘との間にそのときどんな会話があったのか語られない。

映画はいきなり祖父が怒って杖を放り出しながら家を出て行く場面から始まる。荷物を持った春が必死になって祖父を追いかける。連れ戻そうとするのか、一緒に出かけようとするのかさえわからない。

おそらくこんな会話があったのかもしれない。仕事を失った春が独り言のようにつぶやく。都会にでも行って一人暮らしでもしようか。祖父が言っただろう。オレはどうなるんだ。おじいちゃんには兄弟が4人もいるでしょ、誰か面倒見てくれる人、一人ぐらいいるんじゃない。

それは単なるぼやきのつぶやきだったろう。一晩寝ればまた元の生活が始まると春は考えていたかもしれない。しかし翌日、祖父はいきなり実行に移した。誰か面倒を見てくれる人はいないか、兄弟達の元を尋ねに。必死で謝る春だが言い出したら聞こうとはしない祖父だった。

映画の撮影は物語の順通りに行われたという。旅の冒頭、祖父は無精髭を剃って旅を始めるが、映画のラストではほとんど同じくらい髭が伸びていた。過去の出来事はすべて会話の中でしか語られない。振り返る映像は一つもない。セリフのある人物は全部で13人。そのうちの2名はホテルのフロントにいる従業員2名(別々のホテル)。主要人物なのに会話の中で出てくるだけで映像が出てこない人物もいる。映像どころか写真さえない。春の父親の後妻が、春を一目見て気づいた時、父親がよく春と祖父のことを話していたからすぐにわかったと言ったが、なのに娘の写真は飾られていない。離婚した春の母親との写真しかなかったのかもしれないが。その母親がどんな人だったのかは会話でしか知り得ない。
祖父の末弟も事情があって出てこない。その一人息子も春と同じ年だというが、東京に出ていてそこにはいないということで、写真さえ出てこない。

やけにアップの多い映画である。年寄りが多い映画だから皺が極端にアップされて見せつけられる。

兄弟達はそれぞれ事情があって祖父を受け入れられない。
意地があって受け入れられない事情を素直に話せない。壮絶な兄弟げんかばかり。しかし心の奥底に、実の兄弟だからこそ言葉でない部分でわかり合おうとするところがある。実にリアルだ。
兄は忠男とは昔からいがみ合っていた。今更素直にはなれない。そんな兄夫婦(大滝秀治、菅井きん)も実は息子夫妻から家を追い出されてホームに行かされようとしている現実があった。そんな弱音をはけない意地がある。
昔から頭が上がらない姉(淡島千景)がいる。気丈に一人で旅館を切り盛りする女将をやっているが、自分の生活で手一杯。でもしっかり忠男の甘えっぷりを見透かしていて言い訳できないお説教をしてくれる。それは耳には痛いながらもいつまでもお姉ちゃんらしさを失わない姿にある意味救われたり。

僕の叔母によく似ているなと思った。長女である僕の母でさえ頭が上がらないしっかり者で、4人の弟たちにはそれこそしっかり首根っこをつかまえられているような存在。映画の祖父の兄弟達と僕の叔父・叔母の姿が重なって見えたり。
と思いながらも、実は僕自身の義姉の姿にも重なったり。義姉と彼女の実弟である義兄との関係も似たようなものに思えてきたり。

祖父と春は二人の弟に会いに行くが二人とも手帳の住所にいなかった。連絡がつかない。
一人は訳あって会えない。やっと内縁の奥さん(田中裕子)に偶然会うことが出来た。
もう一人の弟(柄本明)は事業に失敗。強がってはいるが火の車の生活。壮絶な喧嘩はあるが、心の中でゴメンナと謝っている声が聞こえるような気がする。
この弟の奥さんをやっている美保純といい、田中裕子といい、若いと思っていたがいつの間にかいい年をしているんだなと、自分の年齢を思いながら感じてしまった。
この映画、老人救済映画というか、年取った人ばかりが出てくる。

喧嘩ばかりを見ながらも、肉親っていいなと思ってしまった春は、二度と会いたくないと思っていた父親に会ってみたくなる。

父親(香川照之)を訪ねて、その意外な暮らしに戸惑い、そして号泣する場面で物語はクライマックスを迎える。この映画は、祖父が自分の行き着く場所を訪ねてさまよう物語であるのと同時に、春の原点を見つめ直す物語だったんだとその時に気がつく。

祖父と春に安住の場所を与えようとする申し出に対して二人は居心地が悪くてこっそり抜け出す。何しに出た旅なのか。生活の場所ではなく心の安住の場所探しの旅だったんだと気がつく。

この後、春はどうするのか。いやそれどころか、この映画は極端なほどに説明がない。余計な人物も出さない、余計な説明もない、余計な会話もない、すべて見ている者に想像させるしかない。だのに感動がいっぱい詰まっている。それは生き方が実にリアルに描かれているからかもしれない。

祖父と春の旅の費用は実に心もといほどの金額しかないことが途中示されるが、なのにしっかり旅は続けられる。場面には描かれてはいないが叔母達がこっそり援助をしてくれているのだろう。節約家の春がしっかり預かったお金を管理しているのだろうがそんなことは描かない。
春はがに股で歩き回る。どうしてがに股なのか一言も説明がない。舞台挨拶で、ようやくがに股が戻ったと言ったという。演技だったのだが説明はない。
足の悪いはずの祖父が杖を投げ出し、文化住宅の階段をそう不自由なく登り降りしているのには不自然さを感じないではないが、結局は自分に甘えている象徴なのか。姉はそのことを看破していたのかもしれない。
ラストシーン、結局どうなったのか、これも語られない。不幸だと思い込んでいた二人が実は気の会う同士で幸せに暮らしていたんだと知った喜びに満たされた状態での結果なのか。

謙虚と言えば、エンディングで何もない画面で片隅に出演者他のクレジットが実に遠慮がちに映されていく。目が悪い人にはさっぱり見えない。何も映らない画面と音楽だけで、祖父と春の旅をしっかり振り返って欲しい、そして自分たちの生きている現実を見つめ直して欲しい、そんなメッセージなんだろうか。

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